孤独感を感じたことはありますか?
もしかしたら日々、感じているかもしれません。「ときどき急に襲ってくるもの」という認識の方もいれば「孤独感なんて感じたことないな〜」なんて方も、いるのかもしれません。もしくは「考えると怖いから蓋をしている」なんてこともあるかも、しれないですね。
セッションでは、自分自身と向き合うことをテーマにいろんな角度から、さまざまな考え、感情、感覚についての話が出てきます。〈孤独〉というテーマもその中の大切な1つです。
人それぞれの孤独との向き合い方と捉え方があると思いますが、ある日私にとって「孤独」の反対にあるものは「静かな繋がり」なんだな、と腑に落ちたことがありました。

孤独ってなんでしょう?
いくら人に囲まれていても、孤独を感じることもあるでしょう。いくら環境に恵まれていたとしても、孤独を感じることもあるでしょう。私が孤独を感じるときって、隔離された感覚というか、分断されているような感覚です。とても精神的なもの。
逆にいくら物理的に離れていても、環境や人や物理的に恵まれている状況ではなかったとしても、孤独感を感じることなく豊かに過ごすこともできるはずです。
〈孤独〉の反対側にあるもの、それは〈静かな繋がり〉だな〜と今の私は思っています。〈静かな信頼〉と言い換えてもいいかもしれません。
〈静かな信頼〉とは「信頼してます!」とか「あの人を信じてるんだ」というような〈信頼〉とちょっと質が違います。「言葉にはしない、というか…できないけれど、相手を強く信じている」というそんなイメージです。何があっても、真の部分を信じている、そんな感覚から浮かんできた言葉でした。
異国の地での、圧倒的な孤独

17歳のとき、アメリカに留学しました。言葉も話せず、文化もわからず、学校には私しか日本人もおらず「とにかく何がなんでも1人で生き抜くしかない!」みたいな状況で、サバイバルでした。
日本とは物理的にも離れているし、時差もある。当時はまだインターネットも普及していなかったのでやりとりは手紙かときどきのメール。国際電話料金は高すぎて、使えるのは数ヶ月に1度両親と少し話すのみ。
物理的にはもちろんのこと、精神的にも何かをリアルタイムで共有することも、双方向のやり取りをすることもできません。たまに届く友達からの手紙が、異世界をのぞくようなワクワク感を運んで来てくれていて、目の前の自分の現実に向き合う心の支えになっていました。
自ら選択して、楽しみに、希望を持って飛び込んだ留学という挑戦は、辛くて、カオスで、惨めで、圧倒的で、でも自分で決めてきたからには後ろを振り向くこともできない、とても孤独な戦いでした。逃げ出したかった日本での生活以上に、孤独を強く感じた1年間でした。そしてその時の支えになっていたのが、繋がっていると思える人とのやりとりでした。
時間や空間を超えて、信じてみるチャレンジ

究極に孤独な状況になったとき、自分で自分を奮い立たせるしか選択肢がありませんでした(笑)。そこで私がひとり勝手に想像し、勇気づけられたのは、遠く離れている人たちの存在です。
それは多感な10代という時期を過ごしている日本にいる友達たちの存在。ときには、全然知らない異国の人の存在。もしくは時代を超えた、過去の人たちの存在。そんな人たちに思いを馳せました。
特に日本にいる友達は、みんなそれぞれの悩みや葛藤を抱えていることを手紙を通して共有していました。それを知ると、心が折れそうなことがある度に「みんなそれぞれまったく違う場所で、違う状況で、違う人間で、違う考えや悩みを持って過ごしている。きっと誰もが今を、一生懸命生きているんだろうな〜。私も、今の、目の前の状況で、現実で、私の身体で、私という人間で、やるしか…ないんだよなー。」そうやって何度も、何度も、自分に言い聞かせていたのを覚えています。
「誰かもがんばっているハズだから、私も頑張ろう。」それを信じて糧にする方法しかその時は思い付きませんでした。時間・空間関係なく「静かな繋がり」を「信じる」しか、その時の私には選択肢がありませんでした。ただこの1年間の経験が、孤独と付き合うたくさんの方法を教えてくれたように思います。
自分にも、外にも、橋を架ける

孤独とうまく付き合っていくには、自分から静かな繋がりを、静かな信頼を、自分自身にも、外に向けても、架け橋のように自ら繋ごうとすることが必要なんだな。さまざまな経験をして、揺り戻しを経験しながら思いました。
静かな繋がりも、静かな信頼も「わかりやすい双方向の結びつき」というよりかは、どちらかというと「とても主観的で、こちらからの、一方通行のゆるやかな光線」というイメージです。
孤独を感じる時って、実は外から、周りがいくら「物理的に繋がろう」と試みてくれても、「精神的な繋がりを持とう」とアプローチしてくれたとしても、離れようとしているのが自分自身だったりします。「どうせ」とか「絶対にこうでしょ」とかどこかで思っていたりしてね。
アメリカに留学している時も、実はすぐそばにホストファミリーやサポートしようとしてくれる存在がいたんですよね。でも自分がそこに手を伸ばそうとしなければ、何も起こらないってことに、後になって気づきました。ただ静かに、繋がっていることを信じることができていたとしたら異なる体験をしていたのかもしれません。
静かに手を伸ばし続けてみる
今、17歳のあの時に支えあった友達たちがどこで、何をしているのか、わからない人もいます。まったく違う人生を歩んでいる人もいるはずです。でもあの時、あの状況で、やり取りをしながら過ごせた時間と経験は今でも「ありがと〜!」しかないし、あの瞬間に、その人としか味わえなかったことなんだと、思います。
そしてあの時、そばで静かに信じ応援し続けてくれていたホストファミリーは、今でも繋がり続けています。
静かな信頼を寄せること。
それによって静かな繋がりを築くこと。
すべては自分から♫