頭がいい、悪いってどういうことだろう?
ふつうと、ふつうじゃないって、何が違うんだろう?
そんなことをついつい考えてしまいます。
頭のよさを測る1つの軸がテストだとして、例えば「テストの点数が100点だった」という事実があったときに、その事実が評価されて「いいクラスに入れる」ということが起こるとします。
こうやって同じ評価軸の中では、「テストで100点を取った」→「いいクラスに入れる」のようにメリットが発生することがありますよね。そしてさらに「頭がいい」という評価ももらえます。「テストで100点取れてうれしい!」「いいクラスに入れてうれしい!」それはやっぱりうれしいし、誇らしい♫認められた喜びもある。
ただここで課題になるのは、この「うれしい」「誇らしい気持ち」が長く続くものではないということ。社会的な評価軸、つまり他人軸で満たされるのは、一瞬であることが多いなぁと思うことがたくさんあります。
「充実感」や「達成感」「幸福感」「豊かさ」って本来、自分の心の中で感じるもの。つまりは主観的な感覚です。そしてそれを〈継続的に〉〈長期間〉感じたいと思ったとき、そこに重要になるものこそ、自分が何に満たされるか?何を大切にしたいのか?どうするとそう感じられるのか?という主観的な、自分軸を満たしていくことだなぁと思うのです。
自分に調和する
そう考えると、持続的な幸福感や豊かさの軸になることは
自分が大切にしたい価値観に
どれだけ深く調和できるか
どれだけ長く調和できるか
そこなんじゃないかな、という発見がありました。
感覚的で感情的
価値観とは、自分が大切にしたいもの。もしくは大切に思っているもののこと。
そう定義してみると、価値観とは考えるものでも、損得で計算できるものでもありません。とっても感情的で、感覚的なもので、もうすでにあって、常にあるもの。そしてそれは身体が、感情が「教えて」くれるもの。
自分が大切にしていることを「ないがしろにされた」と感じたら怒りが湧いてくるし、大切に思っているものを同じように大切にしてもらうと感動して涙が出る。そうやって身体や、感情、感覚は私たちの大切なものは何かを教えてくれています。
身体のサインに調和する
身体のサインに調和していくこと、感情のサインに調和していくことは、自分の価値観を知って大切にしていくということ。
私も身体・感情にもっと意識を向けてみようと思います。