最近、身体の〈快/不快〉や〈一致感/不一致感〉に意識を向けるようにしています。するとこれまでの身体の感覚をかなりシャットアウトしていたことに気が付きます。
身体の感覚に、より意識を向けるようになると「あぁ、今まで無意識下でかなり感知してたのをなかったことにする訓練、相当されてたなぁ」という発見にも繋がりました。

今回、私自身が気づいたキーワードは〈ガマンしなさい〉というフレーズについて。
寒い→我慢しなさい
お腹すいた→我慢しなさい
あれやりたい→我慢しなさい
あれ欲しい→我慢しなさい
自分の感覚や欲求に対してそれを満たすために行動するのではなくて「我慢しなきゃ」そうやって言い聞かせて刷り込んでしまっていたなぁと思ったんです。それによって私が得たものは〈感覚をキャッチしてもその状況・状態をただやり過ごすしかない〉という誤った対処法と感覚習慣でした。
「気付き」に対する誤った対処法

この繰り返しが続くと欲求や感覚に気がついても「それは叶えられない」という刷り込みが強化されていく一方だからそもそも感覚をキャッチしても意識に上げなくなる。
なぜなら意識に上げてもムダだっていくことを何度も何度も繰り返し突きつけられるだけだから。そりゃぁ嫌になっちゃうよね。疲れちゃうよね。諦めちゃうよね。
そして感じている、気づいているのに意識に上げなくなって、そのうちに自分の欲求や感覚が分からなくなっていく。
「やりたいことがわからない」「好きなことが分からない」「自分の気持ちが分からない」セッションでそんな相談をされるときにヒアリングをしてくとこの仕組みが共通していて、この仕掛けが裏側でくるくると働いていることからも気が付きました。
「気付き」を受け止める方法

身体の〈快/不快〉や〈一致感/不一致感〉にこれまで以上に意識を向けるようにしてからは、自分自身への問いかけ(セルフトーク)と、その後の選択を変えました。
1.〈不快や不一致感〉をキャッチする
2.「何が?」「どこが?」「どうしたい?」「どうしたらいい?」と自分に投げかける
3. それに対して…
- 答えがすぐに分かれば行動する
- 分からなければリサーチする、人に聞く、相談する
- それでも分からなければ答えが出るまで無意識に任せよ〜!と脳内質問ボックスに入れてリサーチを継続する
というようにしています。
方向はいつでも変えられる

そんなことをトライしていた時に、小さい頃に聞いた「我慢しさない」という言葉が蘇ってきたのでした。
それを投げかけた相手が悪いということではなくて…「我慢しなさい」という言葉をたくさん聞いていたのかもしれないし、もしかするとたった数回だったかもしれないけれどそれが私の中にインパクトとして残ってしまっただけかもしれません。
いずれにしてもその時は「我慢して感覚の方を麻痺させる」方を選んだ私は何十年も経った今、我慢して麻痺させる方向ではなく、心地よさや一致感を感じられる方向へ、センサーを働かせ行動することを学んでいるんだなぁと思います。
デフォルトの感覚アップデート

我慢している感覚というのは「我慢している状態」がデフォルトになっているから自分の感覚や欲求に「素直な状態の感覚」をもはや数十年前に置いてけぼりにしていることが多くて…いやぁ…本当に試行錯誤の繰り返しです。
セッションでご一緒するクライアントパートナーのみなさんとも、はじめに「今の当たり前の感覚、状態が変わります」とお伝えすることがあるのですが頭では理解できない、されなくて。もちろんそうなんですよね、感覚の話だから。私の感覚をそのまま移して体験してもらえたらいいんだけど…そうもいかない。
自分自身でその感覚を味わうために選択・行動を変えて、その感覚を体験したら今度はそれを意図的に掴めるように繰り返してはじめて「新しい感覚状態」を満喫することができるから。
このトライを続けていくとあるとき「え?この感覚なに?」ということを徐々に、徐々に経験されて、それを身につけて行かれててその変化や、諦めない姿勢に、私は毎回感動しています。そして「なんか…気づいたらすごく身体が軽いのが当たり前になってきました」とか「今まではなんだったの!?」という気付きに繋がっていくんですよね。
感覚や気持ちに気づくことを「許す」

素直な状態=自分の感覚や欲求を受け取ってそれを満たすために行動するっていうのは、シンプルに「自分に優しくする」ってこと。それにトライして、その感覚が掴めるまで試行錯誤して、実験を繰り返すことでしか感じることができないっていうのが人生のトリッキーな部分!!!
本当は気づいているのに見て見ぬフリをしている自分がいることを、知っているならば…気づいているのに、気づいていないフリをするというなんという苦行とエネルギーロスを手放して、「自分の感覚や気持ちに気づくことを許す」「気づいたことに、忠実に行動する」ことを決めるだけなんですよね。
本当にすべては「選択すること」「決めること」から始まります。すぐに目に見える結果が出ることを求めるのではなく、まずは内側で「決める」ことから。
変化のプロセスを笑い飛す〜!

私はこれまで以上に身体の感覚を意識にあげることを決めました。そして気づくたびに、心地よい状態にしてあげる行動をすることも。
ついついクセで、集中しすぎてムシしてしまったり、まわりを優先しすぎて蔑ろにしてしまうことがあるからこそ、深呼吸をして、マインドにとらわれない感覚との調和を、より深めていけるように。
なぜなら「あ、また感覚スルーしてた!」と後になって不調が出て気付かされたり、周りの人からのフィードバックやふとした声がけで「わちゃー、またやってもうた!」とやっと発見できることがあったり「え?試されてます?」って程に気をつけていたのに症状や不快がひととき悪化したり。そんな1mmずつの変化の繰り返しです。
だからこそ思うのが寄り添って伴奏してくれる存在、的確にフィードバックや問いを投げかけてくれる存在、私自身をしっかりとみて共に考えてくれる存在があるからこそ、向き合い続けられる。
そして何よりも「わー…きゃ〜…」と言いながらそのすべてを笑いに変えて歩み続けることが出来ているなぁって。その協奏/共創が生きる醍醐味だな、と感じます。
そのプロセスが結局…面白くて、幸せなんですね。新しい景色や感覚を掴めたときに一緒に喜べることも。「何をやるか」よりも「誰と、どんなプロセスを歩むか」をやっぱり大切にしたい。