心地よさって常に変わるもの。
新しい心地よさに出会うことがあるのと同じだけ、偽りの心地よさに居座ってしまっているだけのことがある。本当の本当は、どこかちょっとした違和感があるのに、慣れや習慣で「心地いい(ハズ)」と思い込んでいることがある。
心地よいと感じることが習慣や慣れからきているのに、それに気づかないまま、無自覚に過ごした結家、「まさか、これが(まったく望んでいないこと)をこれが引き起こしていたの!」なんて経験、ありませんか?
「正しい使い方」なんて、これまで誰も教えてくれなかったよ!
「え〜〜〜!」これまで意識もしたことがなかった「舌の位置」。違和感も何もないから、そこに意識を向けたこともない。そもそも身体(今回は、舌!)にとっていい位置があるなんてことさえ知らなかったから「知ろう」とすら思えませんでした。知る術が、ありませんでした。
身体にとって「いい」とされている位置や使い方は、長年のさまざまな研究のおかげ。今わかっている範囲内で、本来そのものがもつ機能(能力とか、才能ともいえますね。)を最も活かせる方法の1つということ。
「舌にも、適切な位置や使い方なんて、あったの〜!?」と私にとっては驚き情報でした。でも、よくよく考えると、身体の使い方も、思考の使い方も、心の使い方も、生きていく中で気づいたら身につけていて、気づいたらそれが自分にとっての当たり前になっていて、クセになっているから意識にあげることもない。それゆえに、望んでいない現象を引き起こしていた…ってこと数多。まさか他の方法があるなんて、他のやり方を自分も身につけられるなんて、知る由もありませんでした。
そう考えると、もしかしたら長く悩まされていた頭痛や肩こり、食いしばりも、この新しい知識を取り入れて、使い方を身につけていくことで、少しでもいい影響があるかもしれない。そう考えて目下、舌トレーニング中です。
無意識のクセが、望まない現実を作っている
そこで気づいたのが、この「無意識のクセ」のやっかいさと、それを意識にあげる大切さでした。今回私は身体の使い方、特に「舌」というすごくニッチな部分について本来の身体の使い方に反するかもしれない状態が「習慣」になっていました。
私は昔から頭痛持ちで、根本解決をするためにこれまでいろんなことを試してきました。その中で取り入れたいなと思ったものは継続して、新しい習慣を作ることで、気づけば頻度も減り、症状も軽くなってきました。ただ疲れが溜まったり、ストレスを感じると今でも最初に出る症状の1つが頭痛です。その矢先に知った新しい可能性。友達がシェアしてくれなければ知ることもできなかったし、知らなければ試すこともできませんでした。
そしてこれまでの頭痛&肩こりの緩和も「無自覚にやっていた姿勢、行動」の蓄積により引き起こしているかもしれないことを知り、コツコツと新しい習慣に変えていく過程で楽になっていった経験がありました。
「知らない」「無意識」「習慣だから」「クセでそれが当たり前と思っているから」という理由で、望まない現実を引き起こしていることがある。頭ではわかっていたことだけど…「こんなところにも潜んでいたのかー!」と新しい発見に、思わず唸ってしまいました。
1つを変えると、全体に影響する。
舌の位置なんて、小さい頃からのクセで、もう当たり前で、自然すぎるから、それが意識にも上がりませんでした。正しい位置を試してみた時に「舌の筋肉が痛い〜!」と感じたということは、その位置に舌を置くことを意識し続けることは、確実にこれまでとは違う舌の筋肉を使っているし、違う使い方をするということは、そこに繋がる身体全体にも、影響が及ぼされる、ということ。
1つを変えるということは、全体に影響を及ぼさないはずがありません。物事って、こういう小さな1つ1つの積み重ねによって、実は全体も変わっているんだけど、ある程度の「自分が認識する変化ライン」にまで行かないと気づきづらい。さらには、変則的に起こる不快が、気づいたらまったくなくなってた!なんて実はとってもHappy!なことのはずなのに、「不快」から「快」への緩やかな変化はさらに認識しづらいもの。
今回のことがあったおかげで、これまで長年コツコツとトライしてきた習慣のアップデートによって「快適な時間がすごく増えていたんだな〜」ということに気付かされるとともに「まだまだあったか〜!」というちょっとの悔しさも。
でも一周回って「新しい実験テーマが見つかった!」というワクワクした気持ちもあって。これを新しい習慣にしたら次はどんな変化につながるのかな。楽しみです。