散歩をしていたら、小さな花に出会いました。
その中で一輪だけ咲いている、その花に目がいって。
”あ、かわいいな…”そう思ってその花を写しました。

家に帰ってきて写真フォルダを見返していてはた、と思う。
“そうか〜本当にそれぞれのタイミングがあるんだな”って。
3つあったはずの花。
先に咲いた花はもうしぼんで種が膨らみ始めてる。真ん中はしぼんだばかりかな。一番下は今こそとばかりに美しく咲き誇る。
1つ目が咲いているとき、もしも見てくれる人がいたらきっとそれだけを見ていただろうな。
真ん中が咲いたとき、きっとそれだけが目に入っただろうな。
そしていま、私は3つ目の花が咲いているからこそ気づけて、見つけた。

そもそも、空き地に咲いてたこの花は、もしかすると誰にの目に入ることもなく、気づかれることもなく、ただただ咲いていたかもしれない。
たまたま最後の花が咲いた時に、見つけられたのかもしれないし、いろんな人がもっと早くに見つけて、1つ目の花から愛でてたかもしれない。
“人のライフサイクルも同じだな〜。”そんなことを考えていました。
誰かが美しく咲いていると「いいな」「素敵だな」「私もあぁやって…咲き誇りたい」って望んだり、焦ったり、不安になったり、する。
小さくしぼんで見る影もなくなると「あぁはなりたくない」「あぁはならないように」って変化を否定して、抵抗して、見ないふりをして受け入れることを拒否したりも、する。

まだ花開く前のつぼみの時も
美しく花を広げて咲き誇る時も
だんだんとみずみずしさが失われていく時も
枯れて種へと向かう時も
すべてが自然の流れで
どれも美しいものなのにね。
それぞれの、タイミングがあるんだな。
それぞれの咲き方も、終わり方もあるんだな。
そしてどの瞬間も、その時にしか魅せられない美しさがあるんだな。
美しさを感じる〈ものさし〉を増やしていきたいな。