30代になってから、習慣化の楽しさに気づくようになりました。
- 環境の中にたまたまあったこと
- 何回も繰り返されたこと
- 自然と身につけたもの
習慣になった考え方、言葉遣い、行動や振る舞いは、無意識がゆえに人生を豊かにもしてくれるという側面もあれば、逆に生きづらさを生み出す原因になるんだ、ということにも気がつきました。
同時に、無意識のうちに習慣となっていることは、そこに〈選択する〉という余地がなかったことにも気づかされました。幼い頃はその環境やその世界がすべてです。そのためそのままを受け入れるという「選択肢がなかった」時期があるかもしれません。でも大人になるにつれて選択肢は増え、そして最終的には「自ら選べる」幅は思っている以上に広がっています。
そうやって自ら「選ぶ」ことができるようになっていたにも関わらず、私自身は20代になってもなお「選択肢がない、選択できない」とどこか心の底で思っていたことがたくさんありました。そしてそこから「選択できるもの/選択できないもの」の違いに気づいたり、学んだり、理解するのにたくさんの時間がかりました。
でも、その経験を通して今思うことは「思いもよらなかったほど多くのことについて、選択することができる」ということです。今、人生に対してたくさんの選択肢があると感じますか?それともそんなに選べるものもないしな…と感じていますか?
無意識に持っている
- 思考パターン
- 考え方
- 物事の捉え方
- 口ぐせ
- 行動
- 振る舞い
- 習慣…
それが今の自分の豊かさに繋がるものである時、それは自動で働き続けてくれる豊かさの小人が人生にいてくれるようなものです。(ラッキー!)それがよくない方向へと導くものである時、それは混乱を来す小人がすぐ脇にいて待機しているようなものです。
習慣とは、無意識で行なっていることのすべて。そう定義してみると、望む方向に自動的に働いてくれる習慣を持つことも、抵抗を発生させる習慣を持つことも、原理は同じです。
そしてこの豊かさの小人に働いてもらうか、抵抗の小人をそのままにしておくか、も選択することができるし、どんな働きの小人を人生に招き入れるかによって人生は変わる。つまりはどんな習慣を持つか?が人生をつくっているといっても過言ではないのだなぁと痛感したのです。
習慣化の方程式
習慣化のルールは至ってシンプルなものでした。
インストールされた習慣はアンインストール、もしくはアップデートされるまで繰り返される。自動的にそのパターンを、同じ行動を、同じ思考を繰り返し、見た目や出来事は違えど本質的には同じ結果を引き起こす。その結果が〈いい〉か〈悪い〉かには関係なく。
パソコンや携帯をイメージしてみると、そりゃそうだって感じでした。デバイスを身体だとすると、ソフトは私たちの経験です。私たちの思考も、行動も、経験を通してインストールされているんだから、もしもそれを変えたいならアンインストールするか、アップデートしてあげなきゃいけない。
ただ1つデバイスと異なるやっかいな点は、無自覚&無意識にインストールしていたことも含まれる、ということです。さらに残念なことは、すでにインストールされたアプリに「なんで入ってんの!?」って文句を言ってもどうしようもないってことです。理由は関係なく〈いま〉を客観的に観察して、もうすでに入っているならば「それをどうするか?」を起点に考えていくしかないのですよね。
では「どのようにしてインストールされているものを見つけたらいいのか?」この答えはとってもシンプルでした。なぜならその「サイン」はいつ、いかなる時にも、至る所に溢れているからです。ただ…それは「サイン」であって解読する必要があること。それに「サイン」を「サイン」と認識するかしないか、が大切な分かれ道なんだ、ということにも気付かされたのです。
気持ちや感覚がサイン
そのサインはの1つが気持ちや感覚でした。
例えば、嫌だなと思いながら身につけたこと、苦しさ・疑問を感じながらも自分を合わせてきたこと…そんな出来事があったとします。その時は疑問・不満を感じたにも関わらず、それを繰り返し経験すると人は慣れます。慣れるというのは感覚が鈍化することでもあるし、それを当たり前と受け入れることでもあります。
もしもそうやって無自覚&無意識に受け入れてしまった場合、立場や役割が変わった時、今度は人に対して同じことをしてしまうことが起こります。なぜならそれが当たり前となってしまっているからです。無意識に、自動的に、人に対して自分が受けたことをやってしまう。周りにすべきだと押し付けてしてしまう。そんな経験はありませんか?
不要なものを受取らない
習慣化のルールはシンプルです。習慣化、無意識化されているものは、繰り返されます。その習慣を変えたければ、アップデートをしたければ
- 意識的に気づいて
- 受け入れる&認める
- その習慣を止める
- 新しい思考・行動習慣を決める
- 習慣になるまで繰り返す
という5つのステップが必要です。
ただその前に…実はもっと大切なことがあることに気がつきました。それはまずは不要な習慣を無自覚に受け入れないようにすることです。持ち物を減らそうといくら断捨離していても、それと同じ、もしくはそれ以上の買い物をし続けていたらいつまで経っても物が減ることはありません。習慣も同じです。
まずは不要なものを入れない、買わない。本当に必要なものだけを取り入れる、人生に招き入れることだったんです。
シンプルカンタンが一番の近道
そのためにできるとってもカンタンで、でもとてつもなく効果が大きいことは自分のうれしい、楽しい、面白い、嫌だ、苦しい、辛い、悲しい…そういった気持ちに意識的になることです。気づくことです。そして1つずつ、心地いい気持ちの方を増やしていくこと。
不快感に繋がる感情・感覚は飲み込まずに、これまでとは違う方法で解決すること、解決するまでその解決方法を模索していくこと。それをただただ、ひたすらやり続けること。やり続けること(笑)このシンプルで、地味なことが一番の近道だなぁって。
シンプルが故に「難しい」と言われがちなやつですね。続けることが、難しいってわかります。もっと早い方法ないのかなって。ショートカットないのかな。楽な方法ってないのかなって。私も楽しくて、楽で、カンタンなのが好きだから、色々と探求してきたんです。なのに…人の変容&心理の探求者として15年くらいやってきてみても…これ以外の解決方法を、私はまだ知りません。だから「魔法の解決法があるはず!」というその考え方の方を諦めました。そして「楽」や「カンタン」の定義の方が、私の中で変化していきました。
自分に優しくなること
無意識にやっている行動、思考、考え方、言葉の使い方、振る舞い。それらは習慣となり、人生を創っている。
だからいかに習慣になっていることに意識を向けられるか?当たり前に光を当てられるか?それを明らかにして、受け止められるか?その気づきの習慣づくりこそが、ありたい姿になるために重要だなと改めて思うのです。
そのために、自分の定義を定期的に確認すること。なぜなら時間と共に自分の定義も変わっていくから。私はこれを〈マイ辞書〉づくりとそのアップデートと呼んでいます。
そして自分が「サイン」と思っていない部分に、問いや疑問を投げかけてくれる対話の機会を持つこと。これは無意識アップデートのために何より重要で大切な第一歩だと思っています。
最後に自分の気持ちに敏感になること。それが自分にも、人にも、優しくなれるシンプルで一番の近道だと思っています。
まずは自分に優しくなることから始めてみるの、いいんじゃないでしょうか?