才能ってなんでしょう。「才能が欲しい」「高い能力があったら…」才能も能力も、そもそも身に付いているものだとか、どこかから取って身につけられるもの、という前提の上で「自分にはその才能ないしな…」そんな風に捉えていたこと、ありませんか?
私自身どこかで、その人がすでに持っている部分だけを見ながら漠然と「この人のこの部分、この能力ってすごいなぁ。」と思っていた気がします。
知識をインプットしても、考え方をインストールしても、それを使わなければ意味がないし使わなければスキルは磨かれることはありません。
知識も考え方も自分に応用して〈使おう〉〈引き出そう〉〈実験してみよう!〉そうやって試していく中で初めて身についていくもの。使って、試して、実験して、工夫して…その繰り返しを続けて初めて能力に化ける。それが意識的か、無意識的か、は関係なく使ったことは、使った分だけ強化される。
それをいろんな方から、いろんな場面で見せてもらうことを通じて、元々「能力がある」人なんていなくて、意識的か無意識的かは別として、自分の特徴に気づいて、そこに関するプロセスをどれだけ多く繰り返したかが、その人が持っている能力を決めていくんだと知ることができました。
これまでの人類史上!もっとも情報に溢れる現代。これまでは「知る」ために何時間もかけて「場所」に出向いたり、必要な情報に出会うためにさまざまな「行動」を繰り返していました。その過程には時間も、労力も、費用もかかっていましたよね。それが今では「知る」ことが無料で、1秒で、指一本でさえ、できるようになりました。
Viva!情報化社会!
もちろんその反面「どのように情報と付き合っていくか?」という新しいテーマも同時に突きつけられています。物事には必ずA面/B面があるものだから。ただ情報化が進むことは事実であって自分の影響でどうにかならないものならば、いい面は活用する。懸念すべき面は適応&対応するしかありません。
だから「あるもの」を使わない手はないし、これまでなかったことが「ある」と言う意味では「すごい時代に生まれたな〜!」そう思っています。
その材料でなに作ろう?
ここ20年ほどで、知りたいことに劇的にアクセスしやすくなり知っていること(what)が豊かさに繋がっていた時代から知ったことをどう使うか?(how)が大切になってきています。
だからこそ重要になってくるのは「それを使って何をしたいか??」「どう身につけて、何に活かそう??」自分にとっての目的ですよね。
そしてそこにこそ人生の面白さと醍醐味が詰まっているなぁとしみじみ思うようになりました。そこまでの道のりの過程で見た風景、進んでいく間に起こった出来事・体験、工夫したことや考え方こと、感情が動いたことそれこそが思い出や知恵となる。
とってもシンプルで当たり前のことだけど知識をインプットしても考え方をインストールしてもそれを使わなければ意味がないしそのスキルはいつまで経っても磨かれない。この材料で、何を作ろう?どのレシピで?どのように?これがとっても重要になって来ていますね。
新しいルールと価値観
これまでは材料を手に入れること自体に、時間・お金・労力がかかりました。今ではスーパーに行けば世界の食材が、シーズン関係なく手に入ります。
知識や考え方も、巨大スーパーマーケットにおいてある食材に似ているなぁと思うのです。流行りのもの、新しい知識、ニッチな情報、定番の考え方、チャチャッとまとめられたもの、自分の感覚や考え方に合うもの。いくらでも、好きなものを、いつでも、どこでもカンタンに、商品棚にある食材のように、情報を入手し触れることができるようになりました。
貴重な材料を「手に入れること」自体だったり、「どれだけ多くの材料を持っているか?」が重要だった時代から、誰でも手に入れられる材料をどのように取捨選択するか?どう調理するのか?が大切になるというように、ルールも社会全体の価値観が変わっていっていますね。
いつしか、まったく異なる環境で、まったく異なるルールと価値観のもと、新しいゲームが始まっていたんですね。食材は、買っても放置していたらいつかは腐ってしまうし、時期が過ぎたものはゴミとなる。買った素材は使わないと意味がないしなるべくなら美味しく食べて身体のいい栄養素になっていただきたい。知識や考え方も同じですね。
能力は行動を続けた先にあるもの
写真加工アプリをインストールしたとしても使わなければ、そのアプリを使った作品は一生生まれないし、ゲームアプリをインストールしたとしてもやらなければ、スキルは上がらない。インストールしたアプリを意識して使うことで初めてその「スキル」が身についていく。
行動をし続けることでそれがいつしか〈能力〉になっていく。行動をし続ける胆力こそ能力の要です。
持続可能な豊かさや人生の彩り
能力を身につけるプロセスって、とっても地味で目には見えにくいものです。ただ長い時間かけて染み込ませて来たプロセスは、その時間と同じだけの濃度で身体に感覚として刻み込まれているもの。
だからインプットした情報について人と話してみる。「この情報はどう仕事に活用できるかな?」「今の悩みに応用したとしたら?」自問自答してみる。知識を咀嚼する時間を持つ。
インストールした考え方をベースに、新しいメガネを通して自分自身を、相手を、周りを見渡してみる。その違いを言語化してみる。さらにそれを人とディスカッションする機会を作る。
身につけるための時間と機会を用意すること。それは未来の自分への一番のギフトに他なりません。
何度も、何度でも
毎日5分ずつから、週に1回から行動のための時間を作ってあげよう。未来の自分のための機会を作ってあげる。それは続けていくうちに習慣化されて、そのうち能力になっていきます。
人生めちゃくちゃうれしいことの1つに、過去のギフトを受け取ったときがあります。「あの時ポイっと投げた石ころが、こんなキレイな宝石になってくれたの〜!?」「やろうと決めて蒔いた種…こんなに育っていたのかぁ!」未来の自分を驚かせする仕掛けづくり。
インプット&インストールしたものを使う、活用する、適用する、行動する。3日坊主にも…なっちゃうんですけど、ね。気づけば忘れていたりもするんですけど、ね!いいんです。そんなもんです。それでも何度でも、何度でも。