当たり前の体験の中から「自分の価値観」を見つけ出す
最近、情報の多さや流れの速さについてよく考えたり、人と話すことがあって改めて〈体験〉の大切さを感じています。
100年前より確実に「物質的」には豊かになっているはずなのに…豊かさを感じられていないとか、時間の余裕を感じられない…。そんな現象が起こるのは「何かを見誤ってるとき」なんじゃないかなって。
情報に価値があると信じられていた時代から、体験に価値があると言われる時代へ。ただその体験とは「非日常」の体験のことを意味しているように思います。
非日常の体験はとても刺激的で、感情や感覚を高ぶらせてくれる楽しさがあって私もスキ。ただそれとはまた別の「豊さ」って毎日の過ごし方とか、時間の使い方とか何を選び、何を捨てるか【自分だけの基準】をしっかりと持つことで人生の彩りを取り戻すことができるなって。
社会で「価値がある」と言われていることはその時代が決めていることで「いい」と言われること、「価値がある」と言われること、「意味がある」と言われることも時代や社会背景、もっと言えば属するコミュニティによって変わります。属する社会やコミュニティの中で共通認識として持たされている「価値観」と、自分という個人が感じる「価値観」は重なる部分もあれば、重ならない部分もあるもの。外側のものだけを「価値」だと見誤ると内側の「価値」を感じ取れなくなる。
物質的に豊かになっても、内面で豊さを感じられないときって、「外側の非日常的体験」は満たされているけれど、「内側の日常的体験」における自分の価値観を満たせてない時なんだと思います。あらゆる体験を通して「自分の内側で感じる価値」に気づく作業をし続けていくことが自分の豊かさや、時間をしっかり掴んでいけるってことだと私は考えています。
「周りからいいね!」と言われるものと「自分がいい!」と感じるものが自然と重なるものもあれば、全然かすりもしないこともある。でも人って、人生ってそういうもんだよね、って。だからどんなことも「自分の基準」でどう感じたか?を丁寧に味わっていくこと、それ自体も大切にしていきたいな〜と思っています。
「あなたが思っている社会の価値観」と「あなたが大切にしたいの価値観」で【重ならないもの】はなんですか?