知らないと、ただのモノ
知ると、それは最高の遊び道具
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Toggle知らないことに遭遇する楽しみ
最近よく感じ、考えることに「知らない、ということに気づけるあらゆる機会が、本当に楽しいなぁ」ということがあります。
知らないことに気がつけないと、それを探求することもできないけれど、「これ、よく分からないな。どういうこと?」と疑問が湧き、自分が無知だってことに気がつけると「まだまだ遊び道具がわんさかあるのか〜〜!!!!」ってテンション上がっちゃいます。
事実は1つ。真実は無限通り?
先日、千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館に行ってきました。
ルネ・マグリットの「感傷的な対話」という展示があり、そこから彼の別の作品「イメージの裏切り」を思い出しました。
〈「これはパイプではない」と書かれたパイプの絵〉を初めて知ったのは数年前で、作品だけでは意味がわからなかったけどそのメッセージ・意味を知った時に「ぞわ!」っとしました。
「世界の真実を、こんな形にして提示し投げかける方法があるのか!!!!」と衝撃でした。
私はライフコーチとして「言葉」をツールとして使います。だからこそ気を付けているのが「人は信じるけれど、言葉を信じてはいけない」ということ。
モノはただのモノ
実はそこには意味も何もないのに、私たちはこれまでの経験や社会通念や思い込み、バイアスから、そこに何かを見出します。事実(ファクト)は1つだけにも関わらず、真実(物の見方、捉え方、考え方、感じ方)は人の数だけあります。そしてその真実を現実と思い込み、それを基準に生きる。
- そこにどんな意味をつけるか/つけないのか
- どう解釈をするか/しないのか
- 何とどのように結びつけるか/つけないのか
それは十人十色で
同じ世界に生きて
同じものを見ているようで
まったく異なる世界を生きてることを
アートの世界を通じて、再確認する機会になりました。
作品にどんな背景があるのか、どんなアーティストのものなのか。知らないことを知り、知っているからこそ広がった気づきでした。そして知りたいことがたくさん見つかりました。
感覚をトリップさせる
美術館の中から続くお茶席があります。
外の自然を見ることができて、「涼しい中で緑も見えるなんてすごく贅沢だなぁ〜」なんて思いながらクロモジ茶とわらび餅をいただきました。最近、食器や器を探しているので1つ1つの道具にも興味津々。また”ぷるぷる、ゼリー系”に目がない私にとって、ここでいただいたわらび餅(金沢の老舗「和菓子 村上」のものだそう)最高!でした。
そして「ご馳走様でした〜」とお店を出たつもりで引き戸を開けたその先は、うっすらと暗い美術館の展示スペース。これまた面白い錯覚を味わうことになりました。
また来たいな
ランチを食べて外に出てみると、広がる森や青空がとっても気持ちよくて。なにより広い自然の中に美術館があるのがツボでした。
ついつい1つ1つゆっくり、のんびりと味わい見てしまったので、見れなかった場所もあったし、散策もできなくて。
なんと行ったその日に、この美術館の休館or閉館のニュースが出て驚くとともに、それまでにまた行こうと思わせてくれるステキな場所でした。