なんとなくを「気のせい」にするのか
なんとなくを「気が付いた」にするのか
目次
Toggle〈なんとなく〉の大実験
- なんとなく
- そういうえば…
- ふと…
そんなかすかに、よぎるほどの思考を、いつもどう処理していますか?
もしも「気にしていない」「気のせいかな」と退けているとしたら、ぜひ面白い実験をしてみてもらいたいです。
あぁ…気づいていたのに
以前、営業として働いていたときのこと。当時の私は初めてのこと、学ばないといけないこと、やらないといけないこと、慣れないといけないことが山ほどあって、いつもタスクに追われ、時間は足りず、いっぱいいっぱいで、とにかく目の前のことに体当たりして進んでいくような日々でした。
当時の感覚でよく覚えているのが、失敗した瞬間のこと。忘れ物をしてしまった、ミスをしてしまった、準備が不足していた、勘違いをしていた…etcさまざまな失敗を数えきれないほどやりました。が、不思議なことにその瞬間「あぁ…あれ実は気になっていたんだよな。」「あの時、何かは分からないけど、違和感があるって感じていたな。」などなど、”実は気になっていた瞬間”があったなと思い当たることがたくさんありました。
自分の声の拾い方
その当時の私は「なんとなく」「気づいたこと」「自分が気になること」「ふと感じたこと」という自分が察知しているサインを無視して、目の前のタスクを優先していたんだなと今振り返るとよく分かります。
自分の感覚、アンテナが指し示したタスクよりも、社会や組織、役割といった社会的にすべきタスクを大切に思っていて、それを実行していくことに邁進していました。「なんとなく」とか、「自分が気になったこと」は、「気のせい」「いつかやろう」「ま、大したことじゃないし」「面倒くさいな〜」そんな心の声が響いていました。
今思えばそれは、つまりは、自分の声を無視し、外部からの声を身体の中に響かせ「自分の身体をその外部の声に操縦させるような選択を、無自覚にやっていた」ということだったんですよね。
気になる、に素直に
その会社を3年勤めて辞めたとき、自分自身に決めたことがあります。その1つが「自分に素直に、」ということでした。
別に深い意味があったわけでもなく「じゃぁこれまで素直じゃなかったの?嘘ついてたの?」とか「素直にってどういうこと?」とかいろいろとツッコミどころはあるんだけど、そういう細かいことではなく、自分の在り方としてそれを大切にしていってみよう、マイポリシーにしたい、そんな意志の表れでした。
そういうことを決めて退職した直後、面白い出来事が続きました。
「あ〜〜なんか気になるな」と思って読んだ雑誌に、その時知りたかったことの答えがババン!と書いてある。
「そういえば」と思い出して連絡してみると、すごくタイミングが良かった。
「あぁ、あの人元気かな」と思ったら数秒後に、か〜なり久しぶりにその人から連絡が来る。
「あれ?なんか状況としては重め(無職、先のこと何も決まってない、見えない、やってない)だけど、なんだかすいすいっと進む感覚があるな〜」って。流れ、みたいなものを感じたのを覚えています。
*余談*実験の結果、2ヶ月で天職に出会った
ちなみに、このタイミングに私は「コーチング」に出会いました。なんとなく、気になる、そういえば、を拾って動いてみよ〜を実践し始めて2ヶ月目の時でした。
この頃、心から思っていたんです、概念もまだ知らない/分からないけど「こういうものに出会いたい」って。掴みどころもないし、人に説明のしようもない。でも何か、喉に詰まったような、なんかこれがすっと通るものがある気がする、という「なんとなく」でした。
後になって分かったのは、私はコーチングの手法を知りたかったのではなく「答えは内にある」という考え方と、その自分の中にある答えを顕在化させるためのアプローチ・在り方に出会いたかったんだ、ということ。
2007年当時なので、コーチングって日本に入ってきて数年くらいでまだ全然知られていない時期でした。周りに知っている人なんて1人もおらず、ヒントも情報も皆無!だからいまだに本当に偶然、たまたま、だけどその「なんとなく」「ふと」「そういえば」の行動の先に、さらっと出会えた。それはもちろん偶然だけど、だけど自分のアンテナの通りにとにかく動きまくったということは言える。決めて、実験し始めたら、驚くほどあっという間に私にとっての答えに、出会っていたんです。
そしていつも思うんです。本当に重要なことって、言葉では説明がつかない、できない。さも「どうでもよさそう」な顔をしてやって来て、その瞬間に「ひょいっ♫」っとキャッチしないと「あ、いらないのね。OK〜またね〜」と過ぎ去っていく。そういうもんなんだろうな、って思います。
気がついてしまうこと、それ自体が個性
社会生活の中では、行動の理由や意図を求められたり、説明する必要があることも多いですよね。でも、私たちが自分の行動の一番最初の種をしっかり認識できるのって、すでにそれが分かっていることだからか、相当時間が経ってから気づくのか、何かの出来事があって初めて浮かび上がることの方が圧倒的に多い。
私たちが各々持つ「過去の経験から培っているアンテナの精度」ってものすごく高くて。AIのもっともっとも〜〜〜っと高性能な、なんでそういう結論になったのか分からないけど答えだけは出してくれる最高の相棒、みたいに思います。
その膨大な経験というデータの中から「なんとなく」とか「ふと」「なぜか今それを思い出す」って、その自分の高性能アンテナからの小さな答えだと思うんです。だからその高性能からのサインを「気のせい」にしていたら、いつまで経っても自分の人生の物事は何も起こらない。
「気が付くこと」は実はそれ自体がその人の個性。「その人が気がつくことには、その人の使命が隠されているな」とも思っています。
GOサインと決めておく
気がついたこと、それはあなた自身にとって「アクション!」のGOサイン。
めんどくさい〜も
いや〜相手が〜…も
いやいや、タイミングが…も
そうはいっても状況が…も
本質的にはそれがやらない理由にはならず。それを拒んでいる時って、言い換えると「自分の声を聞くことを拒んでいる」ってことなんだと思います。
人の声を聞いていた方が楽。人に人生の主導権を任せておいた方が安心。周りの指示を受けて動いた方が責任取らなくていい。などなど…その根底に持っている理由は人それぞれ異なると思いますが、自分が気がついたことを「気のせい」にしてしまうのは、もったいない。あるのに、ないとしてしまうのは、もったいなすぎる。人生においての代償が大きすぎる!ということです。
アクションとは、1分の積み重ね
ぜひ一度、実験をしてみて欲しいです。
「なんとなく」「そういうえばと思い出す」「ふと…」がよぎったら、「あ!来た!」とアンテナからのサインを受け取って、それについて1分でできるアクションをやってみる。
「なんとなく、あの人元気かな〜と思った」
→「やっほ〜。元気?なんかふと元気かな?と思ってメールしたよ」
「そういえば…あそこ掃除しなきゃな〜って思ったな」
→1分だけ掃除するor必要な道具だけポチる
ふと「キャンプ行きたい」と思ったな…
→1分だけ検索する
あれ?あの時、なんか雰囲気いつもと違ったな
→「急だけど、この前の時ちょっといつもと違うかな?と思って気になったんだけど、その後大丈夫?」って連絡してみる
などなど。もしも「気にしていない」「気のせいかな」「ま、いいや〜」と退けているとしたら、ぜひこの1分アクション実験、試してみてもらいたいなと思います。そしてやってみて、どんなことが起こったか?どう感じたか?そこにこそ、次へのヒントが満載なので…やってみての感想、機会があったらそれもぜひ聞きたいです。教えてください。
〈なんとなく〉は、アクションへのGOサイン